放射線の管理を担う「保安屋さん」として、
地域の安心につながる安全な現場をつくりたい
2018/03/09
前例の無い廃炉作業が進められる福島第一原子力発電所では、7年前の事故当時と比べて放射線量が大幅に低減し、現場の作業環境は大きく改善されました。そのかげで、目に見えない放射線を適切に管理し、安全な作業環境を支えている社員が、これまでの取り組みと福島への思いを語ります。
東京電力ホールディングス株式会社 福島第一廃炉推進カンパニー
福島第一原子力発電所 放射線防護部
作業環境改善グループ 兼 保健安全グループ マネージャー
金濱 秀昭
1995年入社。福島第一原子力発電所で放射線管理、低レベル放射性廃棄物の保管・管理に携わり、2000年から柏崎刈羽原子力発電所で放射線管理、品質管理を担当。その後、本社の原子力運営管理部、原子燃料サイクル部、福島安定化センターなどを経て、2013年7月より現職。
一般作業服で作業できる「グリーンゾーン」の拡大
私は、福島第一原子力発電所の廃炉の現場で働いています。作業員の方々が、安全に安心して働けるように現場の放射線の環境改善に従事しています。それはすなわち、現場の放射線量を下げ、管理することで作業員の方々の被ばくを低減し、更には放射能の汚染を拡散させないということです。
福島第一原子力発電所の事故が衝撃的だっただけに、多くのみなさんは、今でも、発電所内に一歩足を踏み入れるだけで危険だと思っているかもしれません。
しかし、現在では、事故のあった原子炉の周囲を除くほとんどのエリアに一般の服装で立ち入ることができ、作業する場合は、使い捨ての防じんマスクや一般の作業服で行うことができます。このエリアは「グリーンゾーン」と呼ばれ、2017年3月現在で発電所構内の約95%に達しています。
放射線量が高く、ガレキが散乱していた7年前からすれば、私自身も驚くほどに除染が進み、作業環境は大きく改善されました。あらためて、今のこの状況を良いことだと思いますし、ありがたいという感謝の気持ちもあり、当時を振り返ると言葉では言いがたい思いがこみ上げます。
放射線の防護と管理を担う「保安屋さん」
私が東京電力に入社したのは、1995年です。以来、福島第一原子力発電所や柏崎刈羽原子力発電所、原子力運営管理部など、一貫していわゆる原子力畑を歩んで来ました。そのなかでも放射線の防護や管理に携わる業務が多く、そういう社員は、私たちの業界では「保安屋さん」と呼ばれています。
東日本大震災が発生した2011年3月11日、私は東京本社に勤務していたので、すぐに本社の緊急対策本部に招集され、保安班として事故対応にあたりました。主な仕事は放射線防護装備などの保安資機材の調達で、全面マスクや保護服などの装備を一刻も早く福島へ届けなければと必死に関係各所と電話対応をしていたので、声がつぶれてしまい、東京から福島へ向かう仲間に対して行った放射線教育では、現場で必要な放射線の知識をかすれ声で教えていたのを覚えています。
翌月の4月には、私も福島へ入りました。それ以降は東京本社に戻っていた時期もありますが、この5年間はずっと福島に住み、「保安屋さん」として廃炉現場の放射線の管理に携わっています。
放射線は、知識を持って「正しく怖がる」
現在は、大きく広がったグリーンゾーンで、一般作業服という軽装での作業が可能になったので、真夏の作業などはたいへんやりやすくなりましたし、周囲を見回せば、一般の作業現場とほとんど変わらない現場もあります。だからといって、ここで気を緩めるようなことがあってはなりません。とくに事故当時の高い放射線量を経験しているので、あのときに比べれば大丈夫だと思ってしまわないよう、放射線に対する意識や警戒を常に高めるようにしています。ただし、それはやみくもに放射線を怖がることとは違います。
放射線というのは目に見えませんし、触れた感覚もありません。それなのに、大量の放射線を一度に受けると健康に影響を与えるということから、むやみに怖いと思ってしまい、それが風評被害につながることもあります。しかし、放射線は正確に測定することができ、その数値をもとに私たち自身で管理することが可能です。
たとえば医療現場では、専門の技師などが厳格に管理することで、レントゲンなどの放射線を安全に利用しています。ですから、ただ怖がるだけでなく、まずは放射線に対する知識を持ち、そのうえで「正しく怖がる」ことが大事です。
現在、福島第一原子力発電所の廃炉の現場では、作業員のみなさんがいつでも確認できるように約90台の放射線表示器を設置し、現場に入る前の入退域管理施設などには、構内の放射線量をリアルタイムで確認できる大型ディスプレイを設置しています。また、構内にある休憩施設では、出入りするときの放射線管理を徹底して行っています。
今後も引き続き、放射線を「正しく怖がる」ことを忘れず、きちんと管理するとともに、原子炉周囲の放射線量の低減に努め、現場の作業環境をさらに向上させていきたいと思います。
地域の方々と笑顔で再会できる日を目指して
昭和56年ごろに、「僕は3丁目の電柱です」という東京電力のテレビCMがありました。街の電柱が、夕暮れ時の人々の暮らしを見守っている風景が印象的なCMです。
私は小学生のとき、テレビでこのCMを見て、子供心に電気ってすごく大切なんだと思い、はじめて電気に興味を持ちました。
成長してもその興味は失われず、人々の暮らしに欠かせない電気の安定供給に貢献したいという思いを胸に、大学で原子力工学を学び、卒業後は東京電力に入社しました。
その思いと私自身は今も変わりませんが、福島第一原子力発電所の事故を経験して、私を取り巻く環境は大きく変わりました。福島での暮らしが長かったので、今もよく、床屋のおじさんや居酒屋のおかみさんはどうしているのかと、お世話になった人たちの顔が浮かびます。そんな地域の方々と笑顔で再会でき、発電所の近くにいても心から安心してもらえるよう、まずは廃炉の現場で安全な環境を作ることが、今の私に課せられた役割です。
幸いなことに、現場では「保安屋さん」として頼りにされることも多く、そこには、同じ思いを共有する部下や仲間たちもいてくれます。ですから、これからも彼らとともに日々の仕事に邁進し、自らに課せられた役割と責任をしっかり果たしていきたいと思います。
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