令和元年台風をこえて 〜後編〜

2020/03/30

令和元年台風をこえて 〜後編〜

2019年9月、関東としては過去最強クラスの勢力を保ったまま、千葉県千葉市付近に上陸した台風15号。東京電力グループ供給エリアの中でも、特に大きな被害を受けながらも復旧に臨んだ、東京電力パワーグリッド木更津支社のメンバーが当時の状況や心境を振り返る2回シリーズの後編です。

前編はこちら

東京電力パワーグリッド株式会社
木更津支社
木更津地域配電建設グループマネージャー

瀧本 明広

1989年入社。主に千葉県内の事業所にて、工事の発注や、安全・品質の管理を行う配電建設業務などを担当してきた。2019年から現職。

瀧本 明広

全国から続々と集結した1,000台の応援車両

木更津支社管内では送配電設備が甚大な被害を受け、支社や周辺事業所だけではとても対応できなくなってしまいました。そこで、他の電力会社から応援の作業員と作業車、電源車を派遣いただけることが決まり、私はその受け入れを担当することになりました。

まずは、大量の車両を受け入れる大規模な場所を確保しなければなりません。ここで協力いただけたのが、地元の大型ショッピングセンター「イオンモール木更津」さまでした。東京電力は、イオン株式会社さまと災害時に協力して対応する協定を結んでいたため、その協定に従って駐車場の一角をお借りし、各電力会社や工事会社の皆さまの受け入れ基地を開設しました。

基地には、全国から続々と駆けつけてくださった車両が列をなしていました。海を渡って四国電力さまや北海道電力さまも駆けつけ、ついには沖縄電力さまからの応援も到着し、旧一般電力事業者である10電力会社が全て集まりました。最終的に、約1,000台の車両が集結したときには、驚くと同時に、心から頼もしく思ったことを覚えています。

全国から続々と集結した1,000台の応援車両その1

全国から続々と集結した1,000台の応援車両その2

それぞれが持つマンパワーとノウハウが復旧現場へ

たくさん集まっていただいた分、基地での受け入れ作業は多忙で困難を極めました。誰にどの作業をお任せするか判断し、毎日作業の進捗情報を集約しなければなりませんでしたが、はじめのうちは基地の運営は私一人。夜通し車を走らせて集まってくださった皆さまのパワーや思いを無駄にしないよう、効率よく現場に送り出せるよう努めましたが、100%やりきれたとはいえないのが心残りです。

そんな中でも、「何でもやりますよ」と言ってくださり、本当にありがたく感じました。いつも一緒に仕事をする仲間とは違うメンバーが集まっているため、基地では毎日、朝・夕のミーティングをするなど、細かなコミュニケーションによって緊密な連携を図るよう努めました。

同じ電力会社とはいえ、普段から行っている工法はそれぞれ異なります。企業の文化も異なるため、現場での作業に関しては、無理に当社のやり方に統一することはせず、「とにかくお客さまに早く電気をお送りしたい」とお伝えしていました。各社のやり慣れた方法で作業を進めていただいたことで、現場での大きな混乱はありませんでした。また、折れた電柱の効率的な仮復旧工法を共有してくださったおかげで、作業がスムーズに進んだという好事例もありました。それぞれのマンパワーとノウハウを結集して頂くことが出来たおかげだと感じています。

それぞれが持つマンパワーとノウハウが復旧現場へその1

それぞれが持つマンパワーとノウハウが復旧現場へその2

改めて感じた“電力の絆”

各社が昼夜問わず対応してくださったことで、復旧作業は大きくスピードアップしました。そのおかげで停電も次第に収束し、9月27日、最後まで残ってくださった東北電力さまの車両引き上げをもって、基地は撤収となりました。その時にくださった言葉は、「また、何かあったら呼んでください」。遠方から集まってくださった皆さまの姿に、“電力の絆”を感じました。

駆けつけてくださった皆さまのおかげで、私たちはまた、お客さまのもとに電気を届けられるようになりました。そして、駐車場やお手洗い、会議室も開放してくださったイオンモール木更津の皆さまにも、大変感謝しております。今回の事例を受けて、他の電力会社もイオン株式会社さまと災害時協定を結んだと聞き、災害時に協力して対応する流れが全国に広まっていることをうれしく思っています。

今回のような大規模な災害は、今後もないとはいえません。大切なのは、万全な備えです。協力する側も、協力を受け入れる側も、非常時に素早く協力体制を整えるために、今回の反省を活かしたさらなる準備が必要です。全国で連携して災害に備えることで、電力会社同士、何があっても助け合える関係になりたいです。

東京電力パワーグリッド株式会社
木更津支社長

飯尾 真

1996年入社。静岡県、埼玉県、東京都、神奈川県、千葉県で配電部門に携わる。工事会社への出向、労務・人事部門を経験後、2018年から現職。

飯尾 真

「ただ事じゃない」と直感した現場からの報告

台風15号の接近に伴い、木更津支社では8日夕方に非常災害態勢を立ち上げました。深夜に台風が通過するのに備えて、私は支社全体の指揮と、本社との連絡調整の役割を担いました。支社には常設の災害対策室があるため、ここを活用することになりました。

常設の災害対策室

木更津支社内に常設されている災害対策室。台風15号襲来前に設置されていたもので、最前線の拠点として大いに活用されることに

風雨がピークとなった深夜、館山事務所管内を皮切りに、配電設備の被害が相次ぎました。被害件数の多さにも面くらいましたが、一番驚いたのは、現場からの「風が強すぎて現場で復旧作業ができない。一度撤収します」という連絡でした。というのも、木更津支社管内は、房総半島を受け持ち地域としており毎年のように台風の被害を受けるため、現場の配電保守の作業員たちは、復旧作業のプロといえるメンバーばかりだったからです。彼らが作業を中断し、避難するほどの風雨とはいかほどのものなのか。「これは、ただ事じゃない」と直感しました。

その後も続く停電情報を注視していると、9日午前3時前ごろ、送電設備も被災して、送電線が停止。数分後には、社内の通信システムもダウンして情報収集さえできなくなり、木更津支社は“目と耳”をふさがれた状態になってしまいました。文字通り目の前が、真っ暗になった気がしました。

それでも、私の中に悲壮感はありませんでした。木更津支社のメンバーは、台風への対応に関して百戦錬磨のメンバーぞろい。たとえ経験したことのない災害であっても、みんなを信じていました。

設備被害状況の情報収集の難しさを痛感

ようやく現場に出られるようになってからは、早急な被害の全容把握のために、現場の巡視が始まりました。私が全員に指示したのは、「現状を把握しよう」「現場の写真を積極的に撮ろう」「身の安全を最優先に考えよう」ということでした。連絡手段も少ない中、口頭で寄せられる情報から、送配電設備に大きな被害が出ていることが徐々にわかり始めました。

現場に出たメンバーは、走り回って情報を集めてくれましたが、被害の全容把握までに時間がかかってしまったのが、今回の災害対応の中で一番の反省点です。倒木、道路寸断などにより、巡視による現地の状況把握自体が困難であったことが主な原因でした。結局、被害の全体像が判明するまでは1週間を要しました。

台風15号の影響による電柱の被害発生状況(分布図)

台風15号の影響による電柱の被害発生状況(分布図)

人的災害ゼロで未曽有の対応を乗り切る

人的災害ゼロで未曽有の対応を乗り切る

経験したことのない被害の大きさに、事務所内でも現場でも不眠不休の仕事が続きました。物資が不足していて、過酷な作業をねぎらう食事も満足に出せず、みんなでカップ麺をすすり、床や椅子で仮眠を取るような日々でした。

それでも、誰一人、モチベーションの下がっているメンバーはいませんでした。皆、「お客さまに電気を一刻でも早くお届けしたい」という使命感に燃えていたからです。むしろ私は、昼も夜もなく頑張りすぎてしまうメンバーに声をかけるのに気を配りました。緊張で張り詰めた状態が長期間続き、体力・精神に疲労が溜まった状態だと、作業や判断のミスにつながり、自身やお客さまの安全を守れなくなってしまいます。頑張ってくれるみんなに感謝しながらも、「きちんと休んで」「一度家に帰ろう」と休憩を呼びかけ続けました。何よりも、安全優先。それを言い続けた甲斐もあって、木更津支社では、復旧作業中の人的災害をゼロで終えることができました。

全国の皆さまの協力で、夜が明けた

長期にわたる復旧作業には、支社メンバーがフル稼働したのに加え、東京電力グループ、全国の電力会社、そして自衛隊の皆さまに多くの応援をいただきました。また、警察の皆さまには、信号機が停電している状況下で交通誘導等にご協力いただきましたし、地元の宿泊施設の皆さまには、ご不便をおかけする中で作業員のために営業いただきました。自治体の皆さまには長期間、大変なご迷惑をおかけしましたが、私たちの復旧作業を温かく労ってくださり、心から感謝を申し上げたいと思います。

全てのお客さまのもとに電気を届けられるようになったときは、うれしさよりも安堵感に包まれていました。私たちの義務を、遅ればせながらようやく果たせたことに、皆、ほっと胸をなでおろしていました。「明けない夜はない」といいますが、支社のメンバー、東京電力グループのみならず、全国の多くの方々の協力があったからこそ、夜が明けたのだと思います。

そして何より、お客さまから「がんばれ!」「ありがとう」とお声をかけていただいたことが、私たちの力となりました。他の電力会社の皆さまが集まる「イオンモール木更津」には、地元の小学生の皆さまが、応援とお礼のメッセージ集を届けてくださいました。地元の和菓子メーカーさまからは、丁寧なお手紙とともに、おまんじゅうの差し入れをいただきました。厳しいお声をいただくのが当然と思っていた中で、地元のお客さまや企業の皆さまが私たちのことを見てくださっていることがうれしく、涙が止まりませんでした。

応援とお礼のメッセージ

今回の災害対応を経て、木更津支社では、設備の完全復旧とともに、「災害時でも止まらない電気」そして「止まっても素早く復旧できる電気」を目指して、それぞれの部門でさらなる品質向上を追求していきます。そして、今回大きなご迷惑をおかけしながらも、たくさんの応援をいただいた地域のために、電気の安定供給にとどまらない、貢献の形を考えていくつもりです。これからも地域に密着して、地域にとって少しでも役立つTEPCOであり続けたいと思います。

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