資料館
それぞれのフィールドにおいて、自然との共生や環境保護活動などに精力的に取り組んでいらっしゃるオピニオンリーダーの方々との対談内容をご紹介いたします。
作家であり、ナチュラリストでもあるC.W.ニコルさんは、自ら「ケルト系日本人」と名乗るほど日本を愛し、荒廃した日本の自然を取り戻すべくさまざまな活動を続けています。その実践の場である黒姫高原の“アファンの森”で、魅了されてやまない“故郷”日本の自然についてお話をうかがいました。
<作家>C.W.ニコル(クライブ ウィリアムズ ニコル)
1940年、英国ウェールズ生まれ。作家、ナチュラリスト。17歳でカナダに渡り、同国やエチオピアなどで自然に関わる仕事に従事したのち、62年に初来日。日本の自然や文化に魅せられ、80年からは長野県黒姫高原に居住。荒廃した森を購入し、“アファンの森”と名付けて里山の再生に取り組む。95年には日本国籍を取得した。
- 天然のブランコで遊ぶ二コルさんと竹内さん
- 竹内
- ニコルさんとは、2年前群馬県沼田市で開催されたシンポジウムでご一緒させて頂いて以来、どんな森づくりをされているのか実際に拝見したいと、お伺いするのを本当に楽しみにしていました。
- ニコル
- 森づくりを始めたころは、7種類しかなかった山菜が、今は137種類になっています。トンボも2、3種類だったのが24種まで増えました。森が良くなれば、生物も少しずつ戻ってくるんです。
- 竹内
- 生物のDNAの銀行とでも言うべき豊かな森なんですね。ニコルさんほど日本のことを愛している人は「日本系日本人」(笑)にもなかなかいないと思いますが、なぜそこまで日本の自然と文化に惚れ込んだのですか。
- ニコル
- 最初に日本に来たのは武道を習うためだったけど、「え、こんな山や森があるのか」とか、「え、クマがいるのか」とか、びっくりすることがたくさんあったんです。これだけたくさんの人間がいる大都会と、クマが棲める山がある国。その自然を育てた人間たち、あるいはその自然が育てた人間たちに興味が湧いたんですね。
- 竹内
- 御著書のなかに「日本のためになにか貢献ができなければ、自分は日本の寄生虫になってしまう」という文章がありますが、私たちは国からなにかをしてもらうのが当然で、自分たちがなにかをしよう、という考え方が希薄だと思って、ハッとしました。
- ニコル
- 僕は英国やカナダよりも長く日本にいます。だから日本のためになにができるかということを考えました。ものを書くこともそのひとつです。東京オリンピック後、日本の山、川、干潟がどんどん破壊されていって、それを見るのが嫌だったから愚痴を書いたんです。でも、書くだけでは物足りなくなって、小さくてもいいから自分の手で美しい森を残したいと思うようになったんです。
- お互いの書いた絵本を交換し、エールを送りあった
- 二コルさんの親友であり、森の師匠でもある松木さんと
- 竹内
- ニコルさんがおっしゃっているのは、愚痴ではなく怒りだと思います。怒るのって体力が要るから見ないふりをしがちだし、他人を否定するだけの怒りになってしまうことが多いんですよね。でも、ニコルさんの怒りは「だったらこうしようよ」という代案のある怒りじゃないですか。それを持ち続けているのはすごいことだし、有り難いことだなあと思います。
- ニコル
- 45歳ぐらいのとき、「日本と日本人はダメになる」と感じて、日本に住めないならどうすればいいかと。ものすごく落ち込んだんです。ほんとに何回か自殺を考えたほどよ。そんな時に、生まれ育ったウェールズのアファン・アルゴードから「森を再生したい」という相談を受けたんです。僕の思い出のなかのアファン・アルゴードは炭坑跡の裸山だったんですけど、久し振りに帰ってみたら、ボタ山の上に美しい森ができつつあって、死んでいた川も生き返っていたんですよ。それであんなところに森がつくれるのなら、日本のこの貧弱な森を良くすることだってできるんじゃないかと思い、周辺の土地を買いはじめたんです。
- 竹内
- そうだったんですか。この森に癒されながら、この森を育ててきた。ここはニコルさんの力の源なんですね。
- ニコル
- 現代の人は、自然にもどるだけじゃなく、自然に対してなにかできないかと考えることが重要だと思います。それは自分のDNAのなかにあるはずです。とくに日本人は。
- 「いないいないベアー」とおどける二コルさん
- 竹内
- 子供のころに自然とのふれあいを多く経験することで、そうしたDNAが呼び覚まされるのかもしれませんね。いろいろな意味で、環境教育が現代社会の今後を左右するひとつのキーだと感じています。このアファンの森には子供たちもよく来るんですか。
- ニコル
- 年5回、施設の子供たちや目の不自由な子供たちを招待しています。日本の自然を最初に僕を教えてくれたのは子供たちだったんです。僕が23歳のとき、東京・東村山の秋津に引越したんですが、あの当時は里山や雑木林がいっぱいあって、そこではいつも子供たちが遊んでいました。夏に「ミーン、ミーン」と鳴くのがセミだということを、マムシは焼いて食うと美味いことを僕に教えてくれたのは彼らでした。
- 竹内
- 数十年前の日本の子供たちって、それぐらい自然と密接に暮らしていたんですね。でも子供が変わったわけではなく、社会が変わったんですよね。
- ニコル
- 「昔の子供は…」と言うだけでなく、今の子供たちにもチャンスを与えなきゃ。日本では、ちょっと電車に乗っていくだけで自然に接することができます。身近な自然のなかに入っていって、そこをよくするようなシステムができればいいなあと思います。
- 竹内
- そうですね。今は、故郷の自然を感じながら育つ人が少なくなっていますが、故郷の自然が失われることへの恐怖感ほど、エコアクションの動機として強いものは無いと思うんです。私は尾瀬を故郷のように感じてくれる子供さんが増えたら良いなと思っていますが、アファンの森の家族も広がっていくと良いですね。
- ニコル
- そういう子供たちが育ってアファンの森のような森を身近につくりたいという気持ちになれば、また美しい日本にもどれるよ!